言葉は人格…
今年もクリスマスシーズンを迎え、お見合いパーティ、お見合いのラッシュの季節到来で、寒さもどこ吹く風と親子ほど違う会員さんに同行し、お見合い会場であるホテルのはしご、その後、遅れてパーティ会場へ、やっとの思いで、文字通り辿り着いて、会員さんのお顔を見るや否や、空元気を出して会場内を右往左往、さすがに昨日は、会員さんが労を労ってくれ、初めてご自分から動いてくれました。結果はノルマ分の人数だけは話してくれた由、にこにこして、私の迷カメラウーマンの被写体におさまってくれました。撮影時も周りの仲人さんがご協力くださいまして、和やかなうちに終わりましたが・・・会員さんは他支部の仲人さんがアドバイス(時には耳に痛い)をして下さったことに感謝して帰宅の途につきました、残念ながらお一人で・・・・そうこうしているうちに来客の時間になり、戻りましたが、来客の会員さんは、黙々と検索しておりますが、電話のラッシュ、しかし、皆さん、私がパーティやお見合いで疲れていると思い手短に済ませてくれますが、中には、自分の事で有る為、話してる相手や、お見合い時の初対面にもかかわらず、意識を分科せず、自分本位になり、失礼な言動に気付かない場合が多々ございます。額面通りに解釈したり、お相手が穏便に対応すると、わがままがエスカレートしたり、様々です。残念なことにその場で気付かない方もおります、それはなぜでしょう?社会の教育と思います、人は学校を卒業しますと、社会に出ます、そこは年代の違う男女、社会のルール、同業他社、異業種、見るもの聞くもの、すべてが新鮮で、学ぶことの多さに驚き、毎日の社会教育が、人間を形成します。人格が形成され、それが言動に現れます。親御様は私対して、結婚相手はどんなご職業でも構いませんが、しっかり、社会勉強をされた方をお願いしますと、異口同音におっしゃいます。それは全てがそこに起因するからと思います。