《71年前の被爆体験をお聞きしました》
今日は終戦記念日、多くの皆様は日本中が民族の移動のように帰省中、旅行中の方も多い中、数日前に閉ざしていた重い口を少し開けて下さり、8月6日の生々しい体験を伺いました。其の方は、広島市内の女学生、当日は夏風邪で、薬を飲み、布団に寝ていました為(他の同級生は、市内にお手伝いに出かけれおり、被災)難を逃れましたが、崩れてきた家の下敷きになり、腕はパックリと切れ、隣の人が『赤チン』と言って持ってきて塗ってくれたものは後で気づいたのですが、『赤インク』でしたが、知らずに塗り続け、壊れた家の戸板をお父様が用意し、担架を作り、其の女性を乗せ、よくニュースで見ますが、あの川に漂流していた小舟を見つけ、泳いで岸につけて、子供達と家族を乗せて、渡そうとしていたその時、我も我もと群衆が集まってきましたが、お父様は『気持ちは分かるが、今は先に家族を向こう岸に置いてくるので、待ってくれ』と言い、家族を無事渡すと、今度は、小舟を元の岸に戻し、ご自分は、泳いで、家族のいる岸に辿りついたとの事です。使命感と、ご近所との絆、両方の責任を果たされました。まだ続きがありますが…次回に